港北ニュータウンの街づくり

清水 浩

    
土地区画整理事業として日本一の大規模なものである。
土地区画整理事業法に基づく都市開発は、震災復興・戦災復興・新市街地整備など全国津々浦々で行われ都市開発の母といわれて来た。

1. 港北ニュータウンの区画整理の概要

2. 港北地区の目標

3. 港北地区の現状・特徴

4. 審議会の運営

5.基準地積の決定

6.権利者の組織

7.特別の用地に関する申出調査(申出換地)

8.全権利者に対する換地の供覧

9.過小宅地対策の一つ(買増し合併換地)

10.仮清算

11. 課題として持ち上がったこと

12. おわりに(自分でこのまちに住んでみて)港北ニュータウンの課題

私の図書 清水

1港北ニュータウンの区画整理の概要

港北ニュータウンでは、住民参加、申出換地、担当者の発言、権利者研究会など、事業運営、新しい提案等、問題点を整理し区画整理事業の改革があった。日本では最初で最
後の区画整理と言われ、不可能だと思った区画整理事業も20数年にして終わった。

a 土地区画整理法の想定規模を超える事業

  イ 社会的条件 ・・・・5,600 人の権利者・1,600 戸の移転計画

  ロ 自然的条件 ・・・・1,317ha の単一事業規模・別に農業専用地区との共存

b 事業を円滑に推進した新機軸

  事業運営システムとしての住民参加として・港北NT事業(対策)推進協議会の結成

  イ 個人別利害と集団の総意の峻別・運営システム二重性(推進協と審議会との併存)

  ロ 権利者集団からの代議制・・・・・・・・基本的事項の決定・推進協議会・供覧

  ハ 事業情報の公開性・・・・・・・港北ニュータウン紙・街づくりノウハウの公開

  ニ 開発方針の決定・・・・都市開発の経済性と公共性のバランス・権利者の利便性

c 土地の経済的付加価値を極大にする土地利用計画の策定

  イ 用途地域を考慮した換地・センタ−用地・準工業地域・アパマン用地・集合農地

  ロ 地域開発性・タウンセンタ−副都心化・国土幹線網に近接・首都圏西域拠点形成

d 生活再建・土地活用の効率化要求と事業の円滑な推進の対立を解消

  イ 申出換地      市街化促進・混在防止・・・生活再建に資する

  ロ 仮換地の供覧    個人情報の公開・・・・・・個人利害の消滅

  ハ 仮精算       事業長期化対応・・・・・・高齢化・地価騰貴に配慮

  ニ 先行造成地     造成コスト低減・・・・・・住宅移転の容易化

  ホ 共同義務化街区   核的複合業務ビル・・・・・再開発組合型共同ビル建設

ページのトップへ

2. 港北地区の目標

施行者

日本住宅公団は、昭和47年に港北地区の権利者に対し、区画整理計画の内容を説明し、事業の手続きを開始した。

この地区は、日本における最大規模の土地区画整理事業で、第二地区が 760haで、第一地区が 560ha。合計1320haに及ぶ計画人口22万の街になる。

都心からの距離と地勢

港北ニュータウン地域は、横浜市の中心部から北北西へ約12q、東京都心から南西へ約25qに位置し、横浜市の港北、緑の両区にまたがる、現在は、都筑区北部に位置する。

この地区は、西は多摩丘陵、東は下末吉台地につながる標高10mから80mの小高い丘陵地で、東西には幾つかの谷戸が横切っている。地域のほぼ中央部に早渕川が、南部に大熊川・江川が流れ、いずれも鶴見川に注いでいる。

従来の土地利用

従来の土地利用は、面積的に見れば雑木林や竹林を主とした山林田畑であり、これが地域の90%を占め、集落は主に谷戸部分に集中し地域の約5%を占めていた農村地帯である。

地域の周辺には、東海道新幹線、横浜線、東横線、田園都市線が走り、第3京浜道路、国道 246号線、東名高速道路が延びていた。

開発理念と基本方針

昭和40年代の高度経済成長期に入って、横浜市郊外部分の開発が急速に進み、そのまま放置すれば、この地域も当然これらの影響を受け乱開発されることになるのは明らかであった。

横浜市(飛鳥田時代)は、時期を失することなく、六大事業を発表し(港北ニュウターン建設・都心部強化・金沢地先・高速道路・地下鉄・ベイブリッジ)この地域における乱開発を未然に防ぐことと共に、人口の計画的誘導を図り、併せて、都市と農業とが調和した新しい町を実現するため港北ニュータウン建設事業を計画した。

基本理念は、「乱開発の防止」「都市農業の確立」「市民参加のまちづくり」であり、理想的なまちの実現を目指した。その担い手は日本住宅公団であった。

計画開発の基本方針としては、「緑の環境を最大限に保存するまちづくり」「ふるさとをしのばせるまちづくり」「安全なまちづくり」「高い水準のサービスが得られるまちづくり」の4項目が設定された。

具体的には、都市計画道路を基幹とし、斜面緑地、寺院、屋敷林等の保存と、それらを核に公園と緑道で構成される緑のネットワーク(グリーンマトリックス)、さらに、機能的に配置される歩行者専用道路のネットワーク(歩行者専用道路)、また、横浜市北部の中心となるべきタウンセンターをはじめとする、市民の利用圏に応じた各センター地区の設定など、21世紀を指向した新しいまちづくりを目指して新しい試みを採用した。
ページのトップへ

3. 港北地区の現状・特徴


認可と面積

港北ニュウタウンの区域は、2530haであり、その内、港北地区の土地区画整理事業は、大規模開発(1317ha)故に色々の問題が提起され、認可(昭和49年8月27日)から紆余
曲折があって、認可から25年が経過した。

港北土地区画整理事業の面積は、事業費9000億円、減歩率37,5%であり、1地区(548ha)2地区(769ha)の合計1317haにおよび、現在、河川改修、都市計画道路、地下鉄工事、などの関連工事と平行して、直接工事としての宅地造成工事・建物移転工事は100%完了し、換地処分・区画整理登記も完了した。

歴史

昭和56年3月には、2地区での、一次造成工事が、約70% 520haで、1地区では約30%200haであり、合計 720haであった。

(中学2校、高校1校が開校)ことを考えると公団の力はたいしたものである。更に以前、昭和50年9月は、世間では、港北地区において審議会の運営が行きづまり、換地を決めることは出来ないだろうと言われていた。また、建物は、認可前に毎年 200戸程建ち、一日に1戸と言う建築状況であった。これは事業が延びる事につながり、認可時には2500戸
に達していた。先ずは完成しないだろうと言うのが大方の見方であった。

加えて、その頃、権利者の理解が得られず、建物移転も造成工事も進まず、事業が完成するのは、何時になるかと世間から批判されていた。

建物移転

 建物関係は、存置建物(移転を必要としない建物は 900戸)であり、1600戸が移転建物である。

56年3月には、その内、約 530戸約40%程度の移転が完了した(中断移転 350戸,直接移転 180戸)。 移転反対の声が多く、公団は努力して存置建物とすることにした。

どうしても、移転をしなければならない人のために、移転先を早期に造成し「先行造成地」を造り、直接移転に対応した。後日、存置建物となった人々から見て、移転された人が羨ましくなり、あこがれの的となってしまった。

存置者のみならず自分の建物を区域外にと希望した者も、地区内に入りたいという時期がやって来た。

社会の移り変わり

これらの事実は、状況の変化というのか、権利者の理解度の向上というのか、区画整理も随分と変化した。

そうかといって、権利者の望む通りに対応するには、平均減歩率を上げるなど、それなりの費用の捻出が必要である。

区画整理事業は小廻りのきく事業でなく、当初の事業計画認可の内容に従って大きなうねり「計画尊守」として進めものである。

換地計画において、5600人、20,000筆の土地を、権利者の感覚を通し「住民参加」にどのように対応し、換地案の了解を得るかという方策は、以前には不可能視されていた。
そこで、換地手法としても申出換地と言う新しい方向を考えることになった。

申出換地の必要性

一般的に従来の区画整理事業の進め方と異り、施行者だけで事業を施行するのではなく、地方公共団体、地元権利者、施行者(日本住宅公団)の三者が、それぞれの、持分の責任の上で事業を進める立場をとった。特に、生活する人々の立場に立った事業である。

(組合施行、個人施行は除く)その一つが、港北地区の特質である申出換地手法である。

申出換地の進め方の骨子は、マンション、商業等各々の土地に対して研究部会を設置して、権利者のまちづくりのための責任の明確化を議論した。

事業対策委員会では、権利者と事業施行期間、及び、換地後の生活対策について検討された。

住民参加

申出換地の結果は紆余曲折があったが、地元研究会の意向を尊重しかしながら、住民参加の方向は、研究会、検討事項の趣旨に沿い動いた。しかし、権利者は、横浜市や公団に対して多くの事を要求する傾向は避けられない。

公団は、施行期間について、そもそもの原因は「施行期間のずれ」を率直に言えず、出来ないことが分かっていても、あっさりと誤れなかった。

この過去の経緯については「ごまかされた」「知らなかった」と言った「わだかまり」として権利者に残ったが致し方ないことである。

何にしても権利者の不満を解決しなければ、仕事をさせないという声が住民の中から出るのもやもうえない。

それでも言い分を正当化するために、施行者は、権利者に応対するための資料づくりに追われ、あまり建設的といえない仕事の整理をしていた。

完成時期の問題

日本住宅公団は、用地買収当時に(昭和44年〜45年)事業の完了時期を概ね昭和55年と説明してきた。しかし、事業計画の縦覧に対して意見書が多数出て、その処理に時間がかかった。

また、当初の計画に比べ整備水準がより高度のものとなる(鶴見川の改修,造成基準の変化等)。

更に、建物戸数が急増する等、色々の原因から事業の施行期間を、62年に延長せざるを得なくなり説明した。

当然のこととして権利者から反発が起り、大いにもめたが、事業について早期完了の努力をすることで工事を続行することになった。

昭和54年3月、権利者との会議で、横浜市、公団の三者間において62年度スケジュールが承認されて、更に、平成7年に工期が延期され換地処分・区画整理登記も終わる。

目玉商品ができる

せせらぎ近隣公園が完成し、昭和54年4月26日には、横浜市長と日本住宅公団総裁の出席を得て、植樹・通水の式典を実施した。

当公園の雨中の風景は、中国画を見る風情で、参加者は絶景と賞賛した。
後日、この公園は、都市計画学会の設計賞を受けて、蓮池を前にした古民家は来訪者の好評を拍している。

ページのトップへ

4. 審議会の運営

土地区画整理審議会第一回目の選出には、第一地区は選挙となり、権利者の中には審議会委員立候補について、選挙票獲得のための運動を展開した。

選挙当日、選挙民の行列は、公団の事務所の回りを取り巻いた。選挙の結果、学識経験者6名を除いた24名が決まった。

内訳は、小宅地を守る会の人達が13名、一般地主さんたちが11名であった。言わば、宅地会の意向を無視しての審議会運営は出来なかった。

例えば、認可から半年が経過しているのに、評価員の同意に関して、ある人(評価員予定者)について、審議会の同意が得られず、事業計画の説明もままならなかった。

第二地区は、選挙を回避する事が手柄のように言われていたこともあり、選挙前に公団・市・地元の調整により選挙を回避した。
しかし、後日、俺は降ろされたという権利者がいて、選挙回避をした施行者は弱い立場に立たされた。

第二地区では評価員の同意を早くに得て、総論の段階では事業は順調に進んだ。

当地区の特徴は、昔で言う村が四つあり、言わば村長さん格が四名いてそれぞれ自分の地位を主張し、このバランスにおいての苦労があった。良い街は一人だけでは出来ない、そこで権利者の強調が必要だから「まちづくり協定など」作ることが問題にされた。

一権利者から提案されたときも、必要性を大切にした促進派と住民協定などに束縛されず勝手気儘にしたいという人がいて、何時もこうした次元で事業を進める為の調整にてこずった。

開催回数は小委員会を含めて270回である。

第一地区は、悉く換地原案の作成段階から意見が多く出され、細かい案件まで小委員会を作って議論した。

公団は、原則を曲げないまでも、彼らの意見を聞いたりこちらが意見を言ったり協議を重ねた。

担当者は、毎日残業の羽目になり大変であったが、地域毎の代表者はそれぞれの役割について議論をした。開催回数は小委員会を含めて445回である。

ページのトップへ

5.基準地積の決定

基準地積は、換地を決めるに当たってのベースであり、換地計画は、その大部分が従前の土地の面積と従前の土地の価格(評価比例式の場合)で構成される。

価格の決まり方は、千差万別で色々の考え方があり権利者の力を借りるところが多いが、地積の決め方は、割合に理論的・物理的に決められる部分である。

港北ニュータウン事業では、出来るだけ実測した方が良いと言う考え方を持っていたので、小宅地等を中心に、杭が埋設され、塀などで境界が明確なものは実測をした。

他の一般の宅地は、即ち、山林・田・畑は、地域が1300haと言う広範囲であること、また、認可後六ヵ月を経た時期に転勤してきて時期を逸した実情があったので、とても全筆の実測をする能力も時間もなかったので施行規程にある按分方式をとった。

区域の測量について 760haの二地区は、権利者の発想に基づいて既存の車が通れるようなしっかりした道路のセンターを区域界にして実測し、未実測の登記簿地積の関係を斟酌して按分率を定めた。

560haの一地区は、権利者の意向が大字の境界をもって実測する意向に傾き、権利者立会いの基に山の中や畑の中を掻き分けて実測をした。

ページのトップへ

6.権利者の組織

港北ニュータウン事業の区域内の土地利用状況は、田・畑・山林が90%で、宅地が4%、道路が6%であった。

この4%の宅地に5000人位の人が住んでいた。権利者数は、区域決定時(44/5)に3300人で、事業認可時(44/8)には2300人が増えて、5600人になった。

増加は主に小規模宅地であり、以後、区画整理事業を進めるに当たり苦労の種になる。

区画整理事業の話の始まりは、昭和40年前半である。当時の施行面積は、2500haと設定れ、ここに (荏田、新羽・新吉田、折本・佐江戸、中川) 昔で言う村があった。

これらの地域には、所謂村長さん的な人がいて(今でいえば連合町内会長)統一していた。この人が代表となり、港北ニュータウン事業の開発対策委員会が発足(42/6)した。

この組織は、言わば、公団事業の前提である用地買収にどう対応するか、具体的には、40%の土地を誰が提供するのか、
価格はいくらにするのか、自分たちの生活はどうなるのか、等について考える組織であった。

地域によって、事業に加わらないグループが出来たり、40%の土地買収が出来ず、全体で言えば36%の買収に終わってしまった。

この間、折本、池辺、東方、大熊、新羽等のグループは、当分の間農業をする意向が強く農業専用地域を選択した。中川でも牛久保では農業専用地域を求めた。

当時、一番大きな問題は、リーダーの家が地区外になったことに対する批判で、これでは一般権利者は付いてこない。

そのころは、開発から除外されることが得だと考えられていた。それは、参加することは犠牲だと言う気持ちがあったからである。

リーダーは、上杉膺山や二宮尊徳のように、自らが実践することが大切である。

港北ニュータウン事業の基本理念である「市民参加のまちづくり」を実現するため、地元と市・公団を繋ぐ組織は、次に示す港北ニュータウン事業推進連絡協議会である。

この組織は、地元4地区の協議会と市・公団、その他関係機関で構成され、開発計画、造成工事等の事業実施に伴う諸問題を協議し、お互いの意思疎通を図るものである。

協議の内容は、地元4地区の協議会を通じて地元の人達に伝えられ、また、地元の意見や要望は、協議会を通じ、市・公団及び関係機関に伝えられ事業に反映されたのである。

また、協議会には、各問題別に専門委員会が設けられ、更に、深く種々の課題を検討するため研究部会を設置して、事業のチェック、生活、農業の既得権の擁護、事業の促進等の議論をした。

成果は、港北ニュータウン事業に反映する仕組みになっている。

その後、地主集団である対策協議会は、宅地会(小宅地を守会)の人々も包含して、地域住民を含めた事業推進連絡協議会となったのである。

   
  

このような市民参加のまちづくりの具体的成果としては「特別な用地」の申出換地がある。

「特別な用地への申出換地」とは、センター用地、アパート・マンション用地、工場等用地、集合農業用地を言い、施行地区の権利者の意向を調査し、その結果にもとづいて、それぞれの地区に換地するものである。

当時、照応換地は現位置換地の説明から脱皮できないでいたが、地元の要望を受け入れた。(後述)。

一方、横浜市では、事業のPR紙として「港北ニュータウン」を発行し、協議会との話し合いと共に、地元と横浜市・公団との相互の意思疎通を計ってきた。

公団としては、事業計画の図面と計画図書、持って各町内会毎の公民館で説明し、換地計画等は、小学校の講堂・体育館、農協の会議室、公民館などで説明会を展開した。

ページのトップへ

7.特別の用地に関する申出調査(申出換地

@ 申出換地の発想

法第89条に示される照応換地の条件の中で、極めて重要なポイントだとされる問題 は、各々の従前の土地の相互の比較、各々の換地相互の比較、或いは、従前の土地と換地との対比(減歩の分布)の中での相互の比較、等を検討する中で『位置』という項目が取り上げられる。即ち、位置は誰が決めるのだろうかはっきりしたい。

 港北地区では、現位置換地の考え方を、つらぬくならば、自分の土地のある所、或は、自分の町に駅前センター等の計画を立てろという強い要望があった。

自分の土地にセンターが計画されない場合、誰でもが、そこに換地される機会を与え、商業経営に参加できるように、換地計画に配慮すべきである、又、換地後の生活対策という面から、権利者に対し商業に転換したいか意向を聞くべきとの主張が強くあった。

商業施設に当てる用地にかかる問題の他に、アパート経営をする人への配慮や、地区内で工場倉庫等を経営したい人への配慮、或は、農業経営に変る生活転換の手段として急激な生活転換を希望せず当分の間、農業を継続したい人への対策も必要となった。

土地利用の意向を聞く方法を採用する事になり申出換地を実施した。

A 調査の目的

港北ニュータウンの「まちづくり」は、横浜市の六大事業の一つとして、市の北部に新しい都市を建設することであり、土地区画整理事業はその主軸である。

このまちづくり事業をさらに進めるために、土地利用について調整をはかって行く必要を感じ、センター用地、アパート・マンション等用地,工場・倉庫・資材置場等用地、集合農業用地の4項目について、権利者から申出させると言うシステムをとり、照応条件の中身として、換地に反映させて行く方法として実行した。(権利者・市・公団)。

センター区域内の土地利用は、

@ 店舗やオフィスビル及び下駄履きマンション等が立置される一般宅地用地の部分と

A 道路や駅前広場等の公共用地、更に、

B 将来、国・県・市の施設が立置する予定の公益用地が計画されている部分に分ける。

又、C この土地区画整理事業に関連して、一般住宅地に居住する者の土地利用の便利をはかり、各種センターの成長をうながす必要から、初期の段階から日本住宅公団の責任において必要な建物を建築するための公団取得団地の四種類で構成されている。

従って、その責務を達成する意志を持っている人のみを対象とした。

いわゆる投機的な立場からの換地の申出は受けられないなど、申出権利者の自覚をうながした上で実施された。
尚、センター毎の従前地での申出規模及び想定減歩率は,整理前の土地利用が悪い場合、80%程度の高い減歩率もあり得る。

 アパートやマンションの立地については、ニュータウン全体の人口、地域の居住環境、経営の採算性、立地条件などの要因を配慮する必要があるが、これらの点から判断して、一般住宅地となる第一種住居専用地域内に混在するアパートやマンションの立置は不適当と考えられる。

また、沿道利用を前提としたガソリンスタンドやドライブイン、
或は、クラブハウス付きテニスコートなどのサービス施設の立置についても、ニュータウン計画及び関係法令等の範囲内で考えられる。(以下、工場・農業は略)

ページのトップへ

8.全権利者に対する換地の供覧

港北地区での供覧は、約5600人(約20,000筆)の全権利者を対象にし、約6ヵ月にわたり応対時間を指定した個人面接方式で実施した。

理由は、細かな情報を一人一人に知らせることに有り、このように長時間を掛けた個別対応は前例がない。

供覧とは、換地計画の縦覧と言う法律に規定された仕組みと同じ行為を実施するものであり、法律に示された換地計画のほんの一部の内容が欠落している程度の行為である。

供覧の実施には、多くの権利者に対し、『換地に関する問題』について個人個人の意見を聞く機会をつくった。

この場合、施行者の考え方を全権利者に伝えるか、非常にむずかしい問題を含んでいるので、担当者は相互にレポートを交換して、説明内容の統一に心がけた。
しかし、担当者全員が同じ説明をする迄には至らなかった。土地区画整理は仕組が複雑な仕事であり,統一した表現で換地計画を伝達することは難しい。

供覧という行為の区画整理事業上の位置づけは、縦覧に準じたもので、換地計画の場合、法88条の内容を持っているが、縦覧のように、権利者が自由に換地計画の図面や書類を見る仕組にとどまらず、ずっと個人対応に徹した方法をとった。

一般的に,縦覧は時間を定めないで、或る一定期間の都合の良い時間に、縦覧会場で換地計画案を見せる制度で、役所の開庁時間だけ事務所を開き権利者の対応をすれば良い。
港北地区での個人対応は,1地区(面積 548ha権利者3000人)と2地区(面積 769ha権利者3000人)を2回に分けて実施した。

2地区1日平均 100人ずつ延べ30日間52年10月末日より52年12月末日迄と1地区53年2月より53年4月末日迄実施した。

供覧の来訪者に,先ず土地区画整理とは何かというスライドを見てもらった。待合室には、造成工程を示すパネルと土地利用計画の模型や現況の模型を展示し、その他に事
業に関する注意事項等も掲示した。

展示はスライド映写待ちの時間を有効利用するに役立った。

権利者は、スライドを見た後に応対室に案内され、換地設計担当者と1対1で換地の位置の決まり方、減歩率の計算の方法、更には、個別の仮換地調書や仮換地図の見方の説明を受けた。

応対室には、職員が10名〜15名待機しており、常時10ヶ所の机で説明が始まる。

このときの説明が10人10色にならないように、応対側のチームワークを作ることが重要事項である。

そこで毎月曜日に、区画整理課内会議を開くなどして、職員相互で情報を交換し、業者を含め短期間のチームワーク作り、職員の教育などの実施に注意した。

供覧の結果は、換地に対する不満が人数で10%、面積で5%程度でありまずは好結果であった。

この中には、公団が自ら修正をすべきデータミスも含まれており、また、逆に、区画整理事業に関係しない、換地とも関係しない不満が数多く聞かされた。

不満の量は、申出換地として申告した土地については割合に少なく、これは申出時の説明,更には、申出に関する位置選定のグループ討議等において権利者との接触があったためと考えられる。

それ以外の人、つまり特別の用地に申出ない土地の所有者からの苦情が比較的に多かった。

しかし、それは対話の時間が少なかったことで、現位置で無ければならないと言う者は少なかった。

施行者としては、申出換地実施の説明会においてタウンセンターの底地に従前の土地がある人々には、特にこの地域の公民館に行って説明し注意を呼び起した。

また、特別の用地以外の宅地については、全て優良な住宅地となることを説明し、換地の位置の決定について全体の土地のバランス(流れ図)により決めるルールを説明した。

 申出の結果、仮換地案に対する権利者からの意見の概要は、

@ 供覧の内容が誤った案であった。

A 出来れば変えた方が望ましい。

B 案と意見内容との比較で何方とも言えない。 C 申出した意見が不適当なもの(却下)等に分けられた。

その内容について審議会で議論して、結果については各権利者に通知した。

ページのトップへ

9.過小宅地対策の一つ(買増し合併換地)

港北地区には 200u以下(固定資産評価の小宅地規模)の土地所有者が、1地区で1405人、2地区で 707人、合計2112人いる(存置建物のある土地を含む)。

これらの権利者の75%が小宅地を守る会を組織し、ノー減歩・ノー清算等を運動方針として掲げ自らの主張を展開した。

その手段として増換地や保留地の優先分譲を希望していたが、施行者はこれらの対応について現時点では約束出来ない旨を説明し、宅地規模の拡大を希望する人々に、地区内の他の土地を購入した上で、自分が従来から持っている土地と合併換地する方向を示した。これを買増し合併換地という。

買増し合併換地の制度とは、従来からの建付地を更に広く利用する場合に、他の土地を分筆買収して、従来の宅地に合併換地するもので、従前の土地が、Aの街区に決まった換地が、若干小さいので、大きくしたい希望の権利者に「大きくしたいと言う希望」を満足させるものである。

例えば、Bの街区に換地された宅地を、従前地において5人で分筆して買収して、 A街区の一番から五番の各々の換地に対して合併換地をする仕組である。

この場合、AとBの街区に保留地があるか、大きな土地を持つ権利者の理解が必要である。

この計画のチャンスに恵まれた人と、そうでない人とのアンバランスという問題をどう解決するかの疑問が持ち上がった。この結果は、1地区で 414人、2地区で 177人、合計 591人(約25%)の人が買増しをして宅地規模を大きくした(存置を除くと50%)。

存置とは、港北ニュータウン事業での造語で、その権利者が付けたものであり、自分で保存に値しない建物で、計画上そのまま置いておかれてしまうと言う僻みのある言葉である。実態は、多くの権利者が唱えた建物移転は嫌だと言う意見を尊重した計画である。

平均減歩率35%であると説明したが、当初から建物の有る宅地の減歩は、従前の土地の単価が平均より高いので、減歩率も10%程度といった説明が徹底されていれば、小宅地を守る会の発生はなかったものと思う。

ここでは、権利者は、従前の土地の 200uが換地において 130uになれば、如何ようにしても建物が換地からはみだしてしまう、区画整理反対の一つの柱としてノー減歩・ノー清算を掲げた。

その後の説明により区画整理反対の気運は薄まったものの、仮に減歩がなくても、用途地域が無指定(土地面積×60%)のときに建築した建物、現在の用途指定(建ペイ率が40%、容積率が60%)では換地に建物が入らない、用途地域の指定通り40%〜60%に建っている建物も、10%の減歩がかかれば、建物の大きさも10%減歩しなければ、与えられた換地には移転出来ず、同じ建坪を建築すれば、違反建築物になるのではないか、

これをカバーする方法として、小規模宅地の権利者からの要望として、

@ 公団や横浜市の先買地を、小規模宅地に付けて換地してくれないか(つけ換地)。

A 保留地の優先分譲をしてくれないか(つけ保留地)。

B 区画整理法第91条を適用し増換地の措置をしてくれないか、と言う声になった。
そこで権利者は、これらの制度の選択にあたって又しても意見が述べられた。

@ つけ換地、つけ保留地は、施行者の処分単価が不明確であり、

A 現在の従前の土地を買って対応する方に割安感があるということ等から、従前の 土地を買増して合併換地を実施する制度を誕生させた。

B つけ保留地、つけ換地を要望する人に、横浜市が先買いした土地を付けた。

ページのトップ

10.仮清算

この項は、後日談になるが、認可から17年が過ぎた頃、土地ブームがやってきて、整理後の価格が清算金の単価として、いくらになるか権利者の不安が高じてきた。

実は、買い増し合併換地の時、また、一般論としても整理後の価格は、時価或いは公示価格であると説明していたから、鰻登りに上昇する土地価格が権利者にとって心配になってきたことは当然である。

仮清算の単価を決める頃、公団の処分価格は、坪当り百万円に近く、一般には2百万円とも言われていた。

このように地価上昇が著しく、清算金が高騰していく当時、若かった権利者は高齢化し、支払能力から見て心配になったのである。
又、換地処分時に清算金の徴収交付があるときの額が幾らになるか不安になる。

そこで公団は、前例にこだわらず審議会・推進協議会に相談しながら仮清算の実施方針を詰めた。

この仮清算は、全員に強制せず申出者にのみに対応することにした。
結果は、対象者、約4千3百人に対して約2千7百人の63%の権利者が申出た。

特に、徴収者に限定すれば80%が申出をした。これらの者についての本清算は、後日、行わないことにした。

因みに仮清算の単価は、坪当り65万円であった。平成4年末では土地価格の単価も冷えて時価でいって坪当り百万円ぐらいになっている。

ページのトップへ

11. 課題として持ち上がったこと

 第2地区だけ先に換地処分をすること

港北ニュータウン事業は、昔で言えば地理的に4つの村で構成されている。その一つの村である中川は10程の大字がありその大字毎に町内会があり、中川地区連合町内会を形成している。

大部分が一地区に所属し、茅ヶ崎町内会だけが、第2地区に属している。

中川地区連合町内会長は、茅ヶ崎町内会の住人で港北ニュータウン事業を取りまとめるに当たって、常に10町団結する事によって事業を施行する方針を立てた。

その手前もあって第2地区だけ先に換地処分をすることが出来ない事情がある。

この建前は、分かるが第2地区だけでも760haもあり、第1地区の560haと一挙に区画整理登記する事は、法務局が混雑するし、施行者として時差出勤が好ましいのである。

この事について、100ha位に工区分けをした方が良いと検討したが、土地利用計画と換地計画が整合せず、建築を待っている権利者と換地計画・工事施行が合ずに実らなかった。
即ち、建築待ちの対応や申出換地の対応上3キロメーター、5キロメーターの飛び換地をしたので、換地工区内で収まらないのである。

2) 鉄道4号線の実行と4号線予定地の管理

港北ニュータウン事業の当初計画では、横浜市営地下鉄が2本、都営地下鉄が1本考えられていた。

東京西部の発展や横浜市の発展から当然の計画であったが、残念なことに都営の話は消えてしまった。

しかし、区画整理事業では、その用地を保留地に当てたり公団換地として確保していて、何時でも地下鉄計画再燃を願っていたのである。

横浜市営地下鉄の1本が3号線で平成5年3月に開通し面目を保った。
しかし、横浜市営地下鉄の4号線の実現は平成19年である、一部コースを変更して、東急東横線の日吉で接続し、建設中の東横線・目蒲線の複々線化を利用して都心方面に乗り入れるとしている。

現在では、田園都市線は超満員で都営線の必要性を感じている。

3) 鉄道駅の評価

土地区画整理事業の事業計画に鉄道を新しく取り組んだ例は少ない。しかし、区画整理事業と鉄道事業が可能なように土地利用計画に際して配慮した例は多い。

言わばお互いに望ましい目標(計画)であるので、同時に計画され、同時に施行されるのである。

また、既存の広場の拡張や、複線化に協力することがある。しかし、区画整理事業で鉄道事業をする事はないのでその責任も取れない。

港北ニュータウン事業では、6駅あって、A駅は、区画整理側の事業計画で広場を作り、線路敷を確保した。鉄道側は、線路を引いて、ホームを作って電車を走らせた。

B駅は、区画整理側の事業計画で広場を作り、線路敷を確保したにとどまる。

区画整理事業による減歩率は、大方の地区で増し換地は好ましくないと考えられているし、港北ニュータウン事業でも、最低ゼロで、最高減歩は80%程度と考えられている。

区画整理事業の土地評価は、価値とは、評価の考え方を整理して、それに似つかわしい評価尺度を作って計量されものと考えた。

事業計画の土地利用計画が変わらないのに減歩率が変わることは権利者の不満になる。その価格差は、固定資産税評価で多きな差がつくから、全体として合理的に出来ている。

若し同じ価格であったらB駅の人がハッキリと不服を申立てるべきであるが何もない。

固定資産税の評価で調整されることになる。この調整幅は、それぞれの仕組みによって市民の意向を聞いて実施される。

ページのトップへ

12. おわりに(自分でこのまちに住んでみて)港北ニュータウンの課題

これからもまちづくり

三位一体、三者一体で進めてきた港北ニュータウン事業は、土地区画整理事業における話し合い・合意形成によるまちづくりの最大の事業であった。

ここに生活する権利者は、蛍を呼び戻そうと努力をしている。町内会では、今まで結束を得られなかった住まい方の研究(まちづくり協定)の必要性を感じとっている。

横浜市・公団は、以前に権利者と妥協せず「まちづくり協定」の重要性について、しつこく話をすべきだったと反省している。

今では全体戸数2500戸の建物の内、移転すべき1700戸の全てを移転し、換地処分の公
告、区画整理登記も完了し事業は終了した。

土地区画整理事業に係わる換地は全面的に使用開始に成り、公共施設の引継ぎも完了したと聞いている。

このような事業を経験して、事業の初期段階から、施行者として、仮換地の指定前に換地計画の縦覧をするような意気込みが必要と思った。

それには、使用開始と同時に町界町名地番の整理が必要となり、換地計画の変更などに対応する気持ちの整理が必要である。

横浜市北部地域は、土地区画整理事業の代表的2事例がある。

(第三者から見た港北NT事業・「公団と東急)武藤・参照)

 事業成果・・合計 1,200haの道路・公園等公共施設の集積

人口増加・経済活動・多様な住民」(自然発生的店舗から本格的コア建設)

区画整理は、現実的・短期・資金回収容易」

多様な市民・人口の定着化・・新たな行政需要の発生東急方式(業務一括代行)鉄道一体型・クラスタ−開発・・

イ,事務・技術・施工・組合業務代行(3,300ha/60土地区画整理組合・平均55ha規模)

 ロ,点開発型・・住宅専用・・文教都市性・・落ちついた町並形成・・2次開発投資段階

 ハ,点開発の難点・・施行時期別アンバラの可能性・・・戦略的コア不在(公団と補完性)

 (先行買収施行者)鉄道一体型(非鉄道事業者としての弱点)・・長期・先行投資

公団方式(港北区・緑区からの行政区再編による都筑区の誕生・・2,800ha の開発へ)

 イ,大規模面開発型・住宅・業務混然(宅地・地域開発の二重性)・都市機能の多様化

 ロ,先行買収地・・港北ニュータウン街づくりの性格と骨格を決定・・・複合多機能化

 ハ,大規模ニュ−タウンの長所活用・・タウンセンタ−計画・・・・・戦略的コア創造

 ニ,住宅地(開発)と農業専用地区(保存)の一体化による総合開発計画

 ホ,新横浜駅前・・東急多摩田園都市との連担性(横浜北部地域新概念・・第4山の手).

へ、事業の新展開・複合多機能都市・業務核都市化(企業・学校誘致・民活集合住宅)

ト、タウンセンタ−計画の具体化・立ち上がり推進 (大規模開発の利益・不利益)

ページのトップへ

私の図書 清水 浩

1.港北ニュータウン事業 B5版 P258(平成10年 9月 9日発行)

施行者でなく、権利者・担当者・新聞社から見た赤裸々の記録である。

2.百人の照応論 B5版 P302(平成11年 3月 3日発行)

 従前の土地と換地との関係は照応していなければならない。従前の土地が形を変えて新しい街区割りのどこに換地として治まれば無難かを決めることが重要なテーマである。

3.区画整理事業とのかかわり B5版 P262(平成10年 5月 5日発行)

 著者が担当した区画整理事業(常盤平を始め、筑波研究都市、港北ニュータウン等)を紹介し、権利者との共存業務を、当該事業の仕事の個別性に会わせた、私の区画整理経歴書とも言える。

4.権利者の減歩感覚 B5版 P334(平成11年10月11日発行)

 区画整理と言えば「土地が減る」「土地が取られる」と言う事から見れば、権利者に取って従前の土地が減ると言うことは大きな問題である。

5.換地計画と換地設計 B5版 P314(平成12年 5月 5日発行)

 従前の土地を換地に移行する時の減歩率計算システムを換地設計という

6.区画整理用語集(区画整理の言葉)A5版P218(平成3年5月21日 5版)

 区画整理事業は、全国の至る所で施行されている。区画整理と言う言葉は、土地区画整理事業の拡大と共に一般市民の中に浸透しているが、区画整理事業が官製型から民間型へと変化し、法律の読み方も字句のみを捕らえずに目的・目標を捕らえて解釈する。

何れも都筑図書館にあります。尚、在庫贈呈には相談に応じます。

住所 横浜市都筑区茅ヶ崎南3−5−26     E-mail kou-shimizu@nifty.com 
住所 横浜市中区北中通3−33 中小企業共済会館内(神奈川県土地区画整理協会)
ARL http://homepage2.nifty.com/hirosi-kukakuseiri/ 
 

清水 浩

ページのトップへ